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[現地レポート]

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[1999.10/19 16:30]

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[1999.10/02 23:10]

[1999.10/01 12:45]

1999年09月

 

 

■最後の写真です 1999年10月24日11:50 記

 道新スポーツの井上浩二記者より、マナスルの登山隊からの最後の写真が届きましたので、掲載させていただきます。
 これを最後にマナスル北峰の写真掲載は最後になると思います。
 また3週間後からマナスル本峰の登山が開始されますので、ご期待ください。

●コメント

 最後の写真になります。明日、下のサマの村に下ります。キャラバン中は、メールも使えません。今日はBC最後の日なので記念写真を皆で取りました。
 隊員、シェルパ、キッチンスタッフ全員です。マナスル北峰をバックに楽しくもあり苦しくもあった2ヶ月近くに及んだ登山でした。

1999年10月23日15:21  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
隊員、シェルパ、キッチンスタッフ全員です



■江崎隊長からメッセージが届きました 1999年10月23日17:30 記

●コメント

 皆様応援大変ありがとうございました。
 おかげ様を持ちまして無事登頂し、マナスル北峰の登山を終える事ができました。これもひとえに道新スポーツ様はじめ皆様方の応援があり、成すことができたものと思っています。
 さて、今後の予定ですが、ベースキャンプを10月24日に引き払います。
 それ以後の予定に付きましては、以下に記します。

10月24日     BC−サマ村
   25日     整理、梱包
   26日     整理、梱包
   27日     サマ村出発(キャラバン開始)
11月 3日     カトマンズ到着(予定)
           マナスルホテル滞在予定

 マナスル登山隊  一同
 ベースキャンプにて



■マナスル登山隊の北峰登頂成功の写真です 1999年10月23日17:30 記

 道新スポーツの井上浩二記者より、マナスルの登山隊の登頂写真が送られてきましたので掲載させていただきます。

●コメント

 相当な雪だったようで、まわりの景色は見えませんが、江崎さん(おそらく画面左)と阿波徹さん(と思われる)2人がすごく嬉しそうに笑っています。
 山頂から札幌のFM放送局AIR−Gの高山アナウンサーと、イリジウムで通話し、Cー3に降りてから再度落ち着いて電話するということだったのですが、あまりの天候の悪化に雪の中での立ち往生の危険を感じた一行は、急いで下山。
 なんとかCー1までたどりついて夜を明かしたそうです。
 そして今日20日午後5時すぎ(日本時間)、BCに無事戻りました。
 事故がなくて本当によかった!
 BCのテントには、韓国隊のメンバーも訪れ、札幌隊の登頂を祝ってくれたそうです。
 韓国隊もチャレンジしていたのですが、タイミングが悪かったのと装備が不十分だったとかで、札幌隊の装備を貸してあげることにしたと、江崎隊長が話していました。
 また、阿波隊員の2人の子供たちから応援ファックスが、AIR−G経由でBCに届けられました。とても喜んでいるようすがAIRーGからの録音テープに入っていました。この内容に関しては、明日の道新スポーツに乗りますのでまたお送りします。

1999年10月19日  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
ご心配をおかけ致しました。無事にBCに帰ってこられました



■昨日、マナスルの江崎隊長からイリジュウムで電話をいただきまいた 1999年10月22日16:20 記

 昨日、日本時間で4時ごろ、マナスルの江崎隊長から電話をいただきましたので掲載させていただきます。突然の電話で、ろくな質問もできず恐縮でした。

 



■Bパーティーの江崎隊長もマナスル北峰 登頂成功! 1999年10月20日02:40 記

 道新スポーツの井上浩二記者からBパーティーの江崎隊長の登頂成功の一報が届きましたので、掲載させていただきます。

●コメント

 19日(日本時間)午後0時20分、江崎隊長と阿波徹隊員が、シェルパのファルデさん、ラクパさんと共に北峰に登頂しました。
 もう1人の大坂卓也さんは体調が良くなく、第1次登頂隊と一緒に下山して、疲労の激しかった井上剛さんと共にCー1に泊まったとのことです。
 他の3人は18日中にBCまで、無事帰還しました。
 頂上付近は天候が悪く、江崎隊長たちは登頂後すぐに下山を開始しC−1まで降りたようです。
 大坂さんと井上さんも今日(19日)BCまで降りるはずだったのですが、降雪で視界が悪く、一旦出発したものの、再度Cー1に戻ったそうです。
 江崎さんたちは明日20日、BCまで降りる予定とのことです。
 明日20日には、江崎隊長たちが撮影した北峰や北峰からの景色が送られてくると思います。期待しましょう。



■マナスル北峰 登頂成功! 1999年10月19日16:30 記

 江崎隊長から登頂成功のメッセージが、イリジュウムを使って北海道へ。以下の記事は、道新スポーツさんがまとめられた登頂成功の記事です。井上浩二記者から送ってもらいました。

●1999年10月19日  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
マナスル北峰 登頂成功1



■道新スポーツからいっぱい画像データが届きました 1999年10月19日04:10 記

 江崎隊長から道新スポーツに届いた画像データを転送していただきました。掲載させていただきます。

●コメント

 深いラッセル、雪の下にはヒドンクレパスがいっぱいある。

1999年10月18日  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
深いラッセル、雪の下にはヒドンクレパスがいっぱいある

●コメント

 ようやくたどり着いたC2予定地。ここも前に荷揚げに来た時とは大違いで、深い雪に覆われていたが、全員で整地し2張りのテントを張る。大きなクレパスの淵だが上部からの雪崩れは来るかも知れない。

1999年10月18日  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
ようやくたどり着いたC2予定地

●コメント

 10月14日
昨夜はたいへん風が強く、ルートは全て消えてしまっている。
また最初からフィックスロープを掘り起こしながらルートを作らなければならない。
今日は、AパーティがC2に上がり、明日からのC3工作をする予定なので、かなりの量の荷物を運び上げるため各自重荷に喘ぎながらの登りだ。
ところどころフィックスロープが見つからず、新たに張りなおす所もあった。
一昨日デポした所は目印に立てておいた旗ざおでようやくその位置がわかる程度に雪が降り積もっていた。テントを2張り建てBパーティは早々にC1に引き返す。
途中、隣のルンゼで雪崩が起きびっくりする。雪崩はマナスル氷河めがけ雪煙をもうもうと上げながら下って行った。
Bパーティは荷揚げ行動が多く疲れもかなり蓄積してきているために、ここらで休養をするためいっきにBCまで下ることにする。

写真はアイスフォール帯の途中からC1を振り返る。

1999年10月18日  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
アイスフォール帯の途中からC1を振り返る

●コメント

 10月16日
今日も快晴の朝を迎えた。C2の隊員は今日こそC3に到達すべくスタートする。
昨日の到達点まで行き、クレパスを避けながら北方のヒマラヤひだの下まで行き、そこからセラックの上に上がりこみ、左の方へノースコルを目指してラッセルを続ける。12時ノースコルに到着。今日は、C3を建てないでデポのみとし、C2に引き上げる。
BCでは昼ころより激しく雪が降りだし、見る見るうちに積もっていく。
C2が心配になってトランシーバーで連絡を入れると高曇りで大丈夫という。
2000m近い差があると天候も違うものだ。
明日は、C3ができBパーティもできればC2まで登り、明後日には登頂できるかも知れない。

危険なクレパスの通過に梯子を使っているところ。

1999年10月18日  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
危険なクレパスの通過に梯子を使っているところ

●コメント

 梯子の懸かったクレパスを通過すると、またもやラッセルが待っている。

1999年10月18日  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
梯子の懸かったクレパスを通過すると、またもやラッセルが待っている

●コメント

 ルート工作、マナスル北峰の頂上は、近くに見えるのだが?

1999年10月18日  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
ルート工作、マナスル北峰の頂上は、近くに見えるのだが?

●コメント

 クレパスの割れ目に沿って付けられたルート。6000m付近を行く。

1999年10月18日  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
クレパスの割れ目に沿って付けられたルート。6000m付近を行く



■私はBCにおりますが、明日出発して、20日には登頂の予定 1999年10月16日23:10 記

 江崎隊長から10月16日 19:54に東京連絡事務所に、久しぶりにメールが届きました。掲載させていただきます

●コメント

 今日、C3の位置に到達致しました。明日AパーティがC3に上がり、いよいよ明 後日アタックできると思います。
 今、私はBCにおりますが、明日出発して、20日には登頂の予定です。もう少し で第一目標が完成です。


 

 江崎隊長が道新スポーツへ送ったメールを、道新スポーツから本日転送していただきましたので、掲載させていただきます

●コメント

 全員元気でやっています。
10月7日まで雪が降り長い停滞の後、8日、9日と雪の落ち着くのを待って10日よりいよいよ行動を開始する。
パーティを2つに分け
A−工藤、井上、井島、高橋、ミンマ、ファクパ、ファルデン、フィンジョ
B−江崎、大阪、阿波
で今後の行動をすることにする。
全員でC1に到着後、雪に埋まったC1を掘り起こし再建する。一張りは完全につぶれポールは折れてしまっていたので、新しいテントを張る。だいたい目途がついたところでBパーティの3人はBCに引き上げる。

10月11日
A−パーティは、C2へのルート工作に出発する。かなり降り積もった雪に大変なラッセルを強いられている。フィックスの掘り起こしも大変な作業だ。
上部からのセラックの崩壊に気を付けながら慎重に進む。
C2までの中間ぐらいのところで大きなクレパスに行く手を阻まれ、今日はそこまでで引き返す。
B−は荷揚げでC1着
今日は全員がC1泊まりとなる。

写真は行動記録とは別です。
C1を出発しアイスフォールに向かう。

1999年10月16日 19:30 受信画像 画像をクリックすると大きくなります
C1を出発しアイスフォールへ

●コメント

 10月12日
 今日は全員で手分けしてC2に荷揚げだ。
 昨日、通過できなかったクレパス通過の対策としてスペイン隊がC1に運び上げていたアルミの梯子を、こちらで使わせてもらうことで話がつき、運び上げてセットした。
 クレパスの深さは50mあるのか100mあるのか、底が見えない。
 ここを通過するころよりガスが出始め、セラックとクレパス帯にルートを開くことは、たいへん危険な状態になってきた。クレパス帯を避け右に左に迂回ルートを取りジグザグに進んで行く。午後2時、大きなクレパスの淵にC2用の荷物を全てデポしC1に引き返す。上部から雪崩が来てもよほど大きくなければ流されることは無いだろう。

 写真はルート工作に向かう高橋隊員

1999年10月16日 19:30 受信画像 画像をクリックすると大きくなります
ルート工作に向かう高橋隊員

●コメント

 10月13日
 昨日のC2予定地の高さは6120mだった。
 テントに帰りついた時には、皆かなり疲れているようだったので、今日は全休とする。
 天候は晴れ。行動したいところだが、あせってはいけない。
 今後のことを考え、休養も大切だ。
 ここ2、3、日午後になると雪降り、夜中に除雪をした日もあった。
 せっかく作ったトイレも埋まってしまったので、今日はイグルー式のトイレを作る。
 これで、雪が降っていても安心して用が足せる。
 フィックスロープを掘り起こしながら進むが深い雪になかなかスピードが上がらない。

1999年10月16日 19:30 受信画像 画像をクリックすると大きくなります
フィックスロープを掘り起こしながら進むが深い雪になかなかスピードが上がらない



■いよいよC2の建設に向けて動き出しました 1999年10月11日AM4:05 記

 江崎隊長から10月10日PM20:18に東京事務所に、C2建設というメールが届きました。掲載させていただきます

●コメント

 今日は、C1までいって来ました。2回目の荷揚げと順応行動です。大変疲れました。
 隊員4人とシェルパ2人が、C1に泊まりです。明日わたしもC1に上がります。
 いよいよC2の建設に向けて動き出しました。



■天候が回復したベースキャンプ 1999年10月9日PM11:10 記

 江崎隊長から天候が回復したベースキャンプの画像が、道新スポーツに届きました。転送していただきましたので、掲載させていただきます

●コメント

 7日間の停滞の後、やっと晴れ間がやってきました。
 各自洗濯をしたり濡れたものを出して干している。
 この写真は、雪の降り積もった水場で洗濯をする工藤副隊長です。

1999年10月9日19:04: 受信画像 画像をクリックすると大きくなります
雪の降り積もった水場で洗濯をする工藤副隊長

●コメント

 昨日から気温が下がり夜はとても寒く、マイナス8度まで下がりました。
 その代わり、今日は快晴の朝を迎え久しぶりにマナスルが見えました。
 明日から上部キャンプに出かけます。
 他の隊はまだ、動く気配がありません。
 晴天が続くことを祈ります。

1999年10月9日19:05 受信画像 画像をクリックすると大きくなります
快晴の朝を迎た久しぶりのマナスル

●コメント

 今回の遠征では、環境のことを考え乾電池は充電できる電池を持ってきている。使い>捨ての電池だと環境破壊の元になるので、再利用可能な充電池をソーラーバッテリーチャージャーで充電し使っている。
 1週間の降雪でかなり溜まった未充電電池だが、強い日差しにあっという間に充電されていく。

1999年10月9日19:06 受信画像 画像をクリックすると大きくなります
にあっという間に充電される太陽電池



■ようやく太陽が顔を出しました 1999年10月9日AM11:45 記

 江崎隊長から10月8日16:36、天候が回復したとのメールが届きました。掲載させていただきます

●コメント

 8日目にしてようやく太陽が顔を出しました。雪原の中でシャワーを浴びています。
 洗濯をし、濡れた物を乾かしています。周りの山もすっかり白くなっています。



■韓国隊とグルジア共和国の登山家が我々のBCを尋ねて来ました 1999年10月8日AM1:50 記

 江崎隊長から10月7日のテント生活の画像が、道新スポーツに届きました。転送していただきましたので、掲載させていただきます

●コメント

 毎日雪のため各国隊とも動くことができず、停滞の毎日です。
 積雪は日増しに多くなっています。
 毎日、除雪から始まり、日本からのメールを読み、気象情報を受け取ってがっかりするのが、日課です。
 先日送って頂いたニュースが最新の日本の情報です。皆で回し読みしております。
 そんな中、韓国隊とグルジア共和国の登山家が我々のBCを尋ねて来ました。日本から持参した炭焼きコーヒーをご馳走し、日本のお菓子を振舞って歓待しました。この写真はそのときに写した写真です。マナスルやお国の話にしばし話が盛り上がりました。
 翌日は・yぢ韓国隊から昼食のお誘いがあり、全員で出かけていきました。
 キムチや韓国の焼肉料理で歓待され、さすが焼肉料理に関しては本場の味が良く出ていて感激いたしました。
                        以上
 マナスル登山隊  江崎

1999年10月7日18:34 送信画像 画像をクリックすると大きくなります
10月7日韓国隊とグルジア共和国の登山家が我々のBCを尋ねて来ました


 東京連絡事務所にも、江崎隊長からメールが届きました。

●コメント

 今日も雪で既に7日間降り続いています。今日の私は少しかぜぎみです。
 停滞の日はメールを見るのが唯一の楽しみです。

 このメールの続きは、夕刊フジのインタービューになっていますので、近日中に「マスコミによる報道」というコーナーで新聞記事として掲載されますので、お楽しみに。
 なお、停滞の日はメールをみるのが楽しみとのことです。メールを送る時間のある方は、ぜひお送りしてあげてください。
 東京連絡事務所も、できるだけ毎日、日本のニュースや山の様子の質問などをさせていただいております。天候が回復すれば、しばらく連絡できなくなると思います。今のうちに、いろいろ質問してみるのもいいかもしれません。
 東京連絡事務所



■毎日の日課が除雪です 1999年10月6日PM15:10 記

 江崎隊長から10月6日のテント生活のレポートが東京連絡事務所に届きましたので、掲載させていただきます

●コメント

 今日も雪。これで停滞5日めです。毎日の日課が除雪です。

 さて、インマルサットの機種ですが、ミニMを購入して持ってきました。
 毎日使用していますので、かなり料金はかさんでいるものと思います。
 日本のニュースもダウンロードしたいのですが、時間が気に掛かって最小限の連絡に使用しているだけです。
 料金は、全て道新スポーツの方に行きますので、心苦しいです。

 インマルサットを使っている写真の方は近いうちに天気が回復すれば外に出して撮影したいと思います。
                              以上
 マナスル登山隊  江崎



10月4日、今日も雪です 1999年10月4日PM17:50 記

 江崎隊長から10月4日のテント生活の画像が、道新スポーツに届きました。転送いただきましたので、掲載させていただきます

●コメント

 今日も雪です。各自思い思いの過ごし方で一日が暮れていきます。
 本部テントの中でくつろいでいるところです。読書をしたり気象データーを整理したり。

1999年10月4日15:22 受信画像 画像をクリックすると大きくなります
10月4日本部テントでくつろいでいるところ

●コメント

 もう一枚送ります。キッチンテントの様子です。コックに日本食の作り方を指導する高橋隊員です。ちょうど昼食の準備をしているところです。
 メガネをかけて座っているのはシェルパの一人です。

1999年10月4日15:39 受信画像 画像をクリックすると大きくなります
10月4日キッチンテントの様子



■画像データの送信費は、1枚に付き4500円!! 1999年10月3日PM14:30 記

 江崎隊長から10月3日PM13:17に、東京連絡事務所にメールが届きました。画像データの送信費はどのくらいかかるのでしょうかという質問にお答えいただきました。ご覧ください。

●メール内容

 相変わらず忙しいようですね。こちらは、全員元気ですが、ここ3日ばかり天候が悪くてBCで停滞しています。運動不足になりそうです。
 ホームページをこちらでもみました。しかし画像が大きいのかダウンロードするのに時間がかかり過ぎます。もう少し縮小して入れて頂けませんか。見る時に拡大する方法ではだめでしょうか。
 ミリセントの件はお任せします。カンパ金でいいと思います。
 インマルサットは1分間300円かかり、写真1枚送るのに約15分かかります。したがって、4500円ぐらいになってしまいます。
 こちらでダウンロードするのにも同じ料金が掛かります。
 メールだと早いです。
 こちらは、浦島太郎状態で日本のことはさっぱり分かりません。
 日本のニュースをたまにメールでお願い致します。
 円相場は気になります。
                              以上
 マナスル登山隊  江崎


 ご覧のように、画像データを送信するには4500円もかかるというのです。この通信費のほかに、まだまだマナスル登山隊は持ち出しによる多くの出費がかかっています。
 そこで、KCOMさんからのご提案があったのですが、KCOMさんが提供しているミリセントというシステムを利用し(有料のシステムですがKCOMのご好意により無償供与)、マナスル登山隊の通信費などへのカンパ金の募集をおこなおうと思うのです。
 具体的なシステムの構築は、近日中におこないます。その際には、ご支援いただければ、幸いです。もちろん任意です。
 東京連絡事務所



10月2日朝のBCの景色 1999年10月2日PM23:10 記

 江崎隊長から10月2日朝のBCの景色写真とメールが道新スポーツに届きました。転送いただきましたので、掲載させていただきます

●コメント

 10月2日朝のBCの景色です。
 昨日から雪で行動ができません。
 本部テントでトランプをしたり、PCのDVDで映画を見たり、各自思い思いに時間を過ごしています。

1999年10月2日21:49 受信画像 画像をクリックすると大きくなります
10月2日朝のBCの景色



■C1の設営完了 1999年10月1日PM12:45 記

 昨日、9月30日14:50に江崎隊長から、C1の設営完了のメールと写真が道新スポーツに届きました。転送いただきましたので、掲載させていただきます

●コメント

 9月29日C1が設営され、6名でC1に泊まりにいきました。
 BCからC1まで今のところ6時間かかります。
 順応ができている人は、4時間で行きます。
 今日の下山は、雪の中氷河のルートファイティングが大変でした。
 今BCは霙がふっています。明日からC2設営のための荷揚げがはじまります。
 今日は、C1の写真をおくります。

1999年9月30日14:50 送信画像 画像をクリックすると大きくなります
C1の設営写真