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[現地レポート]

2000年01月

■ [2000. 1/31 17:15]

■ [2000. 1/24 17:15]

1999年12月

■ [1999.12/19 16:30]

■ [1999.12/18 11:30]

■ [1999.12/12 22:30]

■ [1999.12/12 22:00]

■ [1999.12/10 17:30]

■ [1999.12/08 18:05]

1999年11月

1999年10月

1999年09月

■遥かなるマナスル<7 最終回>
 2000年1月31日17:15 記


●2000年1月28日付け 道新スポーツ記事  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
全力を出せなかった厳冬の登頂



■遥かなるマナスル<6>
 2000年1月31日17:15 記


●2000年1月27日付け 道新スポーツ記事  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
頼もしいシェルパたち その1
頼もしいシェルパたち その2



■遥かなるマナスル<5>
 2000年1月31日17:15 記


●2000年1月26日付け 道新スポーツ記事  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
工事用ユルハシ大活躍



■遥かなるマナスル<4>
 2000年1月24日17:15 記


●2000年1月21日付け 道新スポーツ記事  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
毎日の主食はダルバート



■遥かなるマナスル<3>
 2000年1月24日17:15 記


●2000年1月20日付け 道新スポーツ記事  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
デジタル革命 登山も大変化



■遥かなるマナスル<2>
 2000年1月24日17:15 記


●2000年1月19日付け 道新スポーツ記事  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
村民を4倍の料金で雇用



■遥かなるマナスル<1>
 2000年1月24日17:15 記


 道新スポーツの井上浩二記者より、「札幌山岳連盟 厳冬期の挑戦 振り返る」という道新スポーツの記事を送付していただきましたので、掲載させていただきます。

●2000年1月18日付け記事  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
白く輝く雄姿に 感慨新た その1
白く輝く雄姿に 感慨新た その2



■マナスル登山隊が元気に帰国
 1999年12月30日01:40 記


 道新スポーツの井上浩二記者より、マナスル登山隊が無事帰国した旨の新聞記事を送ってもらいましたので、掲載させていただきます。

●1999年12月30日  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
マナスル登山隊が元気に帰国



■マナスル登頂断念
 1999年12月19日16:30 記


 道新スポーツの井上浩二記者より、マナスル登山隊が登頂を断念されたとの連絡をいただきました。掲載させていただきます。

●コメント

 18日午後9時、マナスルのC2にいた江崎さん、高橋さんと電話で話すことができました。
 残念ながら、約7300M付近で登頂を断念したとのことです。
 この朝、C2にいた工藤副隊長、井嶋健一さんの2人は体力の限界に達し、BCへ向けて降り、江崎隊長と高橋留智亜さんの2人でC3の設営に登ったのですが、前日よりも200M先までロープを伸ばしたところで、これ以上の登高を断念。
 C2へ引き返しました。
 20日はBCまで降りるとのことです。
 BCを撤収し、24、5日にはカトマンズに戻り、29日の飛行機で帰国したいと、江崎さんはおっしゃておりました。

●1999年12月19日  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
マナスル登頂断念



■あす、19日アタック
 1999年12月18日11:30 記


 道新スポーツの井上浩二記者より、マナスル登山隊についての新聞記事が届きましたの掲載させていただきます。

●コメント

 17日午後8時20分に、江崎さんと通話することができました。
 なんと、シェルパが全員BCまでおりてしまったそうです。
 「頭が痛いとか、なんとか言って・・」と、江崎さんは言っていましたが、こんなことがあるものなのかと、驚いてしまいました。
 17日夜現在c2には、江崎、高橋、工藤、井嶋の4人いて、この日は、c3の手前約7200メートルまでルートを開拓し、先端部分に荷揚げして、c2に降りてきたということです。
 18日は朝8時(現地時間)に出発し、c3を設営することを最優先にするとのことです。
 そして19日、c3から頂上を目指すと、江崎さんはおっしゃっています。
 「みんなかなり疲労がたまってきているので、4人すべてが登頂できるかどうかはわからない。ここまでくるとあとは気持の問題になってくる。自分は今からだが絶好調なので、このまま行けるといいのだが」と、せき込み、呼吸も苦しそうな声でしたが、元気でした。

●1999年12月11日  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
あす19日アタック



■第2次アタック隊出発
 1999年12月12日22:30 記


 道新スポーツの井上浩二記者より、マナスル登山隊からの写真が転送されてきましたので、掲載させていただきます。



●コメント

 昨日に引き続き第2次アタック隊の阿波、大坂が出発して行く。
 今日は、マナスルの頂上付近だけでなくBCでもかなりの風が吹いている。

●1999年12月11日  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
第2次アタック隊の阿波、大坂が出発



●コメント

 阿波、大坂両隊員は祭壇の前でこれからの登山の安全祈願をし、出発して行った。一方、昨日ABCに上がった工藤副隊長をリーダーとするAパーティーは、早朝ABCを出発してC1を目指したが、深い雪と強い風に前進を阻まれ途中で、ABCに引き返してきた。
 BCでの朝の気温はマイナス22度となり本格的な厳冬の寒さになってきた。

●1999年12月11日  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
阿波、大坂両隊員は祭壇の前でこれからの登山の安全祈願をし、出発



■キッチンテントの前はシェルパたちの憩いの場所
 1999年12月12日22:00 記


 道新スポーツの井上浩二記者より、マナスル登山隊からの写真が転送されてきましたので、掲載させていただきます。



●コメント

 キッチンテントの前はシェルパたちの憩いの場所なのか天気の良い日はいつも集ま って、話をしたり、時にはカードをしたりと、とても楽しそうだ。9日は、BCでは気温 も高くのんびりと休養できた。

●1999年12月10日  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
キッチンテントの前はシェルパたちの憩いの場所



●コメント

 後から入山してきたデンマーク・オランダチームと今後の登山活動について話し合う。
 ルート工作およびそれに必要な装備は全て札幌チームが提供し彼らはルートの整備を担当してもらうことになった。
 右からミケール(デンマーク人)、パルテンバ氏、バート(オランダ人)、工藤、江崎。

●1999年12月10日  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
デンマーク・オランダチームと今後の登山活動について話し合う



●コメント

 C2(6800m)まで到達しながら天候の悪化で一旦BCまで降りてきていたのですが、今日から最後の登頂を目指す後半戦の第一陣として工藤副隊長をリーダーとするAグループが出発いたしました。彼らはC2より上部プラトーへのルートを作り、C3を構えた後一気に天候の状態を見て、登頂する予定です。

 第一次アタック隊として出発する工藤副隊長。

●1999年12月10日  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
第一次アタック隊として出発する工藤副隊長



●コメント

  同じく一次隊として出発して行くシェルパのファクパ、フィンジョ。

●1999年12月10日  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
一次隊として出発して行くシェルパのファクパ、フィンジョ



●コメント

 第一次登頂隊が出発する日だと言うのにマナスルの上空には雲が取り巻いている。午後からはBCでも小雪が降り出してきた。ジェット気流の吹き出しも時間の問題だろう か。厳しい冬のヒマラヤの素顔が見え隠れする。

●1999年12月10日  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
厳しい冬のヒマラヤの素顔



■厳冬期のマナスルの写真がいっぱい届きました
 1999年12月10日17:30 記


 ベースキャンプに戻ったときに、写真をいっぱい送ってくれました。
 提供はもちろん道新スポーツです。掲載させていただきます。



●コメント

しばらくご無沙汰していました。
11月30日に工藤副隊長、井島隊員、シェルパ2名の4名で遅れていたABC(アドバンスベースキャンプ)の建設に向かい、そのままC1(6100m)へのルート工作に着手し、3日間でC1予定地に到達しました。

ABCからC1の間は、クレパスやアイスホール、セラック崩壊など最も危険が多い地帯です。秋の時と様子は変わっていて、前回は難なく越すことが出来たクレパスが大きく口を開き梯子を渡して越したり、大きく迂回してルート工作をしたり今回は、さらに厳しいルートを取ることになりました。

写真はABC(秋のC1)です。

●1999年12月08日  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
アドバンスベースキャンプ(ABC)



●コメント

工藤副隊長をリーダーとするAパーティー(井島隊員、シェルパ2名)がC1(6100m)へのルートを開いた後、江崎隊長をリーダーとするBパーティー(高橋隊員、シェルパ2名)がすぐにC1(6100m)の建設に向かい12月5日にC1に入る。

井上隊員をリーダーとするCパーティー(阿波隊員、大坂隊員)らはこの間BCからABCへの荷揚げを担当し、必要物資が全てABCに集積されたところでABCに移動してきた。

写真はABC−C1間の垂直のルートをユマーリングする江崎隊長。

●1999年12月08日  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
ABC−C1間の垂直のルートをユマーリングする江崎隊長



●コメント

12月に入り、こちらの気温も急に下がってきました。
毎朝6時に気温の測定をしていますが、ベースキャンプではマイナス15度、ABCではマイナス20度、C1ではマイナス26度程度です。
6日にはC1(6100m)でマイナス32度を記録しました。

日中の気温も6000m以上ではマイナス20度はあり、寒さとの戦いも加わります。

写真はC1を設営した時のものです。

●1999年12月08日  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
C1を設営した時



●コメント

12月5日にC1に上がった江崎隊長をリーダーとする高橋隊員、シェルパ2名はC2へのルート工作を翌日行い、秋には雪崩れをきずかって迂回したルートではなく、左側の大雪面をダイレクトに登り一日でC2予定地(ノースコル直下)に到達した。秋とは違う雪の状態をうまく利用したルートファインティングで予定より一日早くC2予定地に着くことが出来た。

C2予定地は、セラックの下で風の直撃を避けることができ、C3建設の足がかりとして格好の場所です。
翌日は、C2のテント、生活用具、ルート工作の用具などを運び上げ、一旦ABCに下ることにしたが、ちょうど午後から天気が崩れ、雪も降り出してきた。
ホワイトアウトの中、クレパスにはまりながらようやくABCに帰着する。

気象協会北海道本部からの天気予報では、2、3日荒天が続くとの予報から8日には全員BCに下る。

写真はC1からC2へ荷上げをする江崎隊長。後方にC1のテントが見える。

●1999年12月08日  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
C1からC2へ荷上げをする江崎隊長。後方にC1のテントが見える



●コメント

12月7日誕生日の阿波隊員のために、コックが作ってくれたケーキを囲んで夕食後ささやかな誕生パーティを開く。連日の山との戦いに身も心も疲れきっていたときだけに、悪天による停滞と誕生日が重なり隊員たちにとっては和やかな、ホットした一時となった。

●1999年12月09日  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
ケーキを囲む隊員たち



●コメント

今日は昨日と打って変わって良い天気になり、BCでは風も無く暑いくらいの陽気になった。
しかし、マナスル峰は雪煙を上げ、上空はジェット気流が吹き荒れていることが分かる。
冬のヒマラヤ登山の難しさは、この風をどのように克服するかにかかっている。

●1999年12月09日  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
雪煙を上げているマナスル峰



●コメント

12月9日朝のベースキャンプの様子です。
7日から降り続いた雪で、辺りは真っ白です。

●1999年12月09日  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
12月9日朝のベースキャンプの様子



●コメント

1週間ぶりにBCに降りてきて、髭を剃る工藤副隊長。
他の隊員も洗濯したり、洗髪したりと忙しい休養日です。

●1999年12月09日  受信画像 画像をクリックすると大きくなります
髭を剃る工藤副隊長



■12月8日17:30、マナスルの江崎隊長と連絡が取れました
 1999年12月8日18:05 記

 12月8日 午後17時30分ごろ、マナスルのベースキャンプに電話を入れましたところ、運良く江崎隊長と連絡が取れました。皆さん元気だそうです。その会話を録音しましたので、ご興味のある方はお聞きください。
 なお、会話の要旨は、次のとおりです。
 ・風邪気味だが全員元気
 ・天候が悪いので休養を兼ねてベースキャンプに下山
 ・これから登山レポートをまとめて道新スポーツへ送付する
 以上のような内容です。


 東京連絡事務所



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